18の時に地元の山口を出て
大学は大阪、その後教員の件で滋賀に行って、面白そうな人とセミナーで会ってその人が湘南の人だったから湘南に行き世界一周してそしてまた湘南に住んで
この度2月からまた海外生活を始めることになるのですが
関東には多くの仲間や出会いに恵まれたのですが多分戻らないと思うんです
その理由を書いていこうと思います
最高だった憧れの湘南暮らし!たくさんの出会いと遊びを教えてもらいました!
主にバドミントンと起業していた際に出会ったご縁がまたご縁を呼び
楽しい時間をたくさん過ごさせてもらいました
バドミントンで全国目指す仲間ができたり
その方達とカラオケや海遊び、山遊びしたり
まぁとにかく飲み会が多かった数年間でした笑
きっかけはとある物販セミナー
ぜひきて欲しい!と当時知り合いだった社長さんからお誘いを受け聞いたら場所が東京で、、、
当時借金が数百万ありお盆の時期だったこともあり新幹線は満席でバスも割高
ならバイクだ!と思い
きっかけとなったセミナーで住んでいた滋賀から湘南まで250ccバイクで行き茅ヶ崎の海岸に下道でガソリン3回給油して向かった記憶があります
バイクと炎天下の中向かったせいで日焼けした手首笑
茅ヶ崎の海岸に到着した時に
と直感で感じました
そしてセミナーで出会った人と名刺交換して3ヶ月後に湘南に引っ越したのです
そこからはいろんな人と会い遊びました
最高に楽しい、ある意味第2の青春のようでした
きっかけとなったビジネスの破綻とお金のために生きる日々
ただ毎週のように飲んで潰れて次の日のパフォーマンスにも影響していた日々が続いたり
いろんな人とビジネスで繋がっては切れたり
関東圏の方の人間関係の距離感なども戸惑いがありました
わかってはいましたがどこか常に孤独を感じるようにもなりました
そこから色々トライしました
いろんな人と会って話を聞いて
2年半ぶりに海外に行ってみたり
ポーカープロを目指すべく色んなトナメに出るために国内外の大会に出まくったり
家を断捨離して車中泊生活を始めたりなど
関東ラストイヤーも色々挑戦はしましたが
ゴールがブレブレになってよくなかったのと
働きすぎでずーっと疲れている状態でした
一人で動き回った結果自分の首を絞めているだけでした
たくさんの仲間との充実した日々が支えてくれた
と決めてから金銭的には結構厳しい日が続きましたが
主にバドミントン仲間が支えてくれました
練習に行くのが楽しみになるくらいバドミントンの仲間に絡みに行ったのを覚えています
利害関係のない仲間って素敵ですよね
関西にいる時はそういう仲間は少なかったんですが関東ではみんな快く受け入れてくれました
ビジネスでできた仲間は仲間なのか!?
半分イェスで半分ノーです
初めは僕も利益も上がっていましたし不労所得の状態が作れていたので
経費として何を使おうかとか空いた時間で何をしようかとか色々考えていましたが
ジョイントベンチャーをやめ、自分のビジネスモデルが崩壊しそれでも学びは止めてはいけないので防ぐためにダブル・トリプルワークに追われ、そういう会合にも顔を出さなくなってからは
もう誘いもなくなり
中には
と思われるようにもなりました
申し訳なさと自分の実力不足でお世話になった人の恩を仇で返してしまったことは深く反省しています
ですがビジネスの関係って利害関係ありで成り立っていますし
自分の会社のビジョンに合わなかったり仕事ができないやつと思われたら終わりで
関係を続けるのにお金がかかるという変な状態も嫌でしたね
よく
と言われますが
それもどうなんだろうとより人間関係がしんどくなりましたね
っていうのがビジネス通じてできた仲間であるというのが大半です
それでもお付き合いしてくれる人がいればその人は大事にしたほうがいいですね
そういってくださったかたにはまだ交流がありますが
下心が見えた方々とは距離を置かせていただきました
ビジネス関係の人とは背伸びする予定ではなかったですし
自然体で付き合えていたように思えましたが
いつの日からか背伸びをするようになり
最初はいいんだけど、後からしんどくなって連絡を取れなくなることが増えました
色々気になることもあったので今となっては離れてよかったと思いますしいい経験でした
座るだけで5万くらいするクラブや
某大手携帯会社S社の右腕さんが遊びにきたりする店で色々聞かせてもらえたり
コロナ禍のJ社を救った政府に融資を交渉する方
某番組のディレクターさんなど色んな方と知り合えました
ネットで稼いでる人には全業種にお会いすることもできましたし
60手前なのに僕より元気な社長さんもいましたし
すごかったですね今振り返ってみても
関東の社長や個人事業主の特徴
関東でも1000人くらいの社長や事業主の方と関係を持たせていただき
飲み会やパーティ、1vs1で話したりなど多くの時間をともにしましたが
うまく行っている社長やそうでない社長でも共通しているのが
親の力がでかいことです
親の力を一切使わず1代で利益をあげ続けるビジネスをしている人は僕の周りにはほぼ皆無でした
親の財力を使いビジネスして失敗してを繰り返す事業主や
親のコネで入社して雇われ社長してでかい面していたり
ストレスの吐け口をお酒や夜遊びに使うロクでもなかったり
遊びにお金を使う人が多いのと額が大きいと感じました
関西や地元の経営者はそういった特徴は少なかったのですが
まぁ僕が絡んでいた人たちがそういう方ばかりだったのかもしれませんね。。。
僕はど田舎から出てきて知り合いが一人もいない中で1から築いていき多くの経験やスキルを積ませていただきましたが
もともと関東に住めるってだけでも余裕がありますしお金への概念も違います
すぐに稼げると考えている一方散財する傾向にもありました
稼いだお金をそういう方向に使うくらいなら初めから稼がなきゃええやんって考えですし
自分自身の向上や社員に還元したり地域貢献などに使える方々と繋がって刺激を受けたかったのですが
そこにいけてないのも自分の実力不足でしたね、、、
俗に言う2代目を否定するわけではありませんけど
フリーダムな人が多かった印象です
コロナの影響で行けなかった海外に再チャレンジ!今回は現地に住むことに!
ここ数年で色んな経験をさせてもらって自分の中でほぼビジョンが固まってきました
そう考えると都会に住むのはいい選択ではないなぁと感じました
なので関東を出て行くことを決めてからビザ取得に奔走し無事取得しましたし
それで名残惜しいですが離れることをきめました
変化は怖いですし安定収入を捨てるのはもったいなかったですが現状維持は衰退と同じですからね
帰国後は何も決めていない。毎年何も決まっていない人生
帰国後はどこの国に行くか、どこに住むか、いつ帰るかすら決まっていません
でもそれでいいんだと思います
31歳で独身ですから笑
色んなことを経験しまた考え方などがたくさん変化すると思うので
その時に決めてまた記事にしようかと思います
田舎暮らしを早く始めたいが今始めたら海外への後悔が残りそう
と言われてきましたがとうとう年齢の壁がある案件に直撃してしまいました
コロナを言い訳にすることもできますが言い訳したくないですし
なのでベストな選択を考えたところ後数年は海外でもいいんじゃないかとなりました
田舎に住むとなると畑やたんぼもするので多分出ていけなくなりますし
自然と遊ぶので本当にとどまると思うんです
とどまる生活をしている人の方が圧倒的に多いこのにほんで
海外を周遊しながらできる機会は多くないですし
この話をするとみんな異口同音で
というのでね
英語しか通じない国にいくのは不安ですしできれば行きたくないですが(挑戦する前はいつでも怖い笑)
早ければ2月から行ってきます
まとめ
夢のような湘南ライフを味わえましたが
2月以降は海外で安定も頼れる人もいませんが
挑戦は何歳になっても楽しみですね
また変化があれば記事にします!
色んな記事更新していますのでまたよかったらみてくださいね!
最後まで見てくださりありがとうございました!
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