少し信じがたい話かもしれませんが
起きた事実をそのまま書きます(今だから書けることもあるので)
教育委員会と校長の連絡ミスを受け、決まっていた公立中学校の正式採用を無理やり取り消しにされた当事者です。
まぁおかげさまで今1人社長をしながら、海外を放浪したり事業をしたりできているわけなんですが笑
中学でバドミントンを始めて以来スポーツのとりこになり、高校の時出会った先生がいい人だったこともあり将来は体育の先生になるとずっと決めて
友達や家族の反対を押し切り大阪に行って教員免許を取得。
大学を卒業後2年ほど教壇に立ち、生徒や教員や保護者と揉まれてきました。
かなり人生の中で充実しており
「これが65まで続くんだろうなぁ。。。」
「1回くらいは全国大会へ」
と考えていた矢先、、、
社会人2年目で味わう若手教員誰もが感じる壁と悩み
1年目は本当に素晴らしい学校だったと思います。
2年目は全く違う系列の私立の学校へ行きバドミントン部の顧問と高1と高3の授業の担当をしていました
生徒との関係は良好でしたが
教員間はひどいもので
その学校で年上の先生にえらい目にあわされた当時(軽いいじめや部活を僕がいないとこで隠れてミーティングを行い、お金を使って生徒の心を動かしていた等今思い返しても反吐が出ます)
若干教員への熱意が薄れていました
3年目に配属予定だった系列校では
バドミントン部の顧問をする予定でしたが
次の勤務先にいた顧問の先生に誰も知られないように顧問になるためのテストが行われ(実技・筆記等意味わからんことばかりやらされました)
そこで不採用になり
勤めていた校長に事情を説明したところ土下座させるレベルの大問題になったこともあります
教員の世界は本気で黒いなと感じ、何かやろうと思っても上の教員に押し消され、人気が出ようものならお金を使い生徒の心を一時的に動かし(その後すぐ生徒は戻ってきましたが)僕が描いていた理想の教員とはかけ離れていた世界でこのまま続けるのか本気で迷っていました
その矢先
前代未聞!決まっていた正採用がまさかの取り消し。
滋賀県のとある公立O中学校の校長(某T先生)から連絡があったと大学でお世話になっていた教員採用の方から連絡をいただきました
内容を聴きに行くと非常に魅力的で
中3担当、副担任、バド部顧問、生徒指導、修学旅行同行、学校全体いい先生、少し荒れてるなど
非常にやりがいのある条件でした
バドミントン部は全国クラスで顧問になれば全国大会確実で
僕のやってきたことが報われる瞬間だと思いました
当時大阪に住んでいたので滋賀の大津まで電車で行くのは骨でしたが
物件も決めて契約し、教員の採用の書類も全部まとめ提出し(それが3/19でした)
「じゃあ4月からよろしく頼むよ!」と期待をされていました。
しかし。。。
忘れもしません
3/26に城崎温泉に旅行に行っていた帰りに
校長から電話があってすごい嫌な予感がしたのを覚えています
バスの休憩でかけなおしたところ
校長「すいません。採用がなくなりました」
と一言。
僕「え。どうなるんですか?」
校長「大変申し訳ないが違う学校を探すか、仕事を紹介するから待ってて」
僕「。。。」
気が動転していて何も覚えていないのが本音ですが、ただ1つ分かったことは採用がなくなり4/1から無職になったということでした
電話で済ます気かと当時怒って
大学・教育委員会・校長に2回ずつくらい連絡・訪問をし謝罪を要求しました
結局分かったのは
校長が僕の採用を教育委員会に伝えていなかったため、教育委員会は僕が配属予定だった学校へ違う教員を配置するようすでに動いていたのです
それがわかったのがその前日で(25日)
校長も教育委員会に何度も駆け寄ったと言ってましたが(嘘か本当かは知りません)
僕を引っ張ってくれたことに感謝もしていたので当時は訴えることもせず穏便に済ませ教員への道を諦め、校長が紹介してくれた体育協会の嘱託として働き始めました
教員って特別だと思っていたけどむしろ悪い意味で特別だった
嘱託として安月給で働き始めたのですが、教員だった経験はほとんど活かされずそれもまたショックでした。
何を隠そう教員は子供を相手にする仕事なので教員しかしたことがない人で謙虚で向上心を持っている人はあまりおらず、横柄で態度の悪い人が多いことをここで知りました
手取りも教員時代の半分ほどになっていたのでこのままじゃいつか破産するなーと考えていました
そしてそこで勤めていたジムで出会ったいかにも自由人の人と仲良くなり
MLMの紹介を受けそこから僕は一人で稼いでいこうと決めたのです(もうその人とは縁も切れてますが)
起業初年度に見た世界は本当に華やかで洗練されており、熱量も高かった
付き合いで色んなとこに行って学んで自分が凄くなったつもりでいました
ですが起業は稼いでなんぼの世界
MLMは見切りをつけ(当時紹介なんて出来るはずもなくマイナスが膨らんでいった記憶しかないです)
ネットビジネスに飛び込もうと思いました
初年度は借金があっという間に100万以上になり、2年目には300万以上になりました
それを経て今は海外を回ったり、ソリューションをしたり、情報発信を教えたり、トレードやポーカーに挑戦したりと色々なスキルを身に着けることができ結果を残せましたので結果オーライだったのですが
そういえば起業し始めてビジネスでやってもやっても結果が出ず嘆いていたタイミングで採用の話も謝罪の話もあったのです
戻ろうと思ったこともあります
ですが戻らなかった選択をした理由を話します
教員は素晴らしい職業。教員の世界は残酷
教員は本当に素晴らしい職業なんですよね。
ずっと勉強してきたことや、目指してきたことを生徒に伝え生徒がそれを吸収し成長していく姿。
これには僕も何回も涙腺が緩みました。
ですがかなり狭ーい世界に生きているんですね。
教員という世界は。。。。
1年目はやりがいだけで生きていましたが内容は
朝5時半起きで、7時にグラウンドに集まり準備して、夜帰ったら22時すぎ
当時は全然不思議ではありませんでした。
ですが今は情報社会。
ツイッターやFBでは教員という職について是非を問う内容がたくさん。。。
そう異常な世界でした。(少なくとも僕はそういう覚悟で行っていたのでなんとも思いませんでしたが、安定を求めたり、公務員という肩書や正規雇用の文字に目がいく人はみんなやめていく傾向に)
職員室では生徒の悪口大会や、愚痴大会。
教員が一番勉強しないといけない立場だし、伝え切れないのは教員の責任なのになんでそんな感じで振る舞えるのか訳がわかりませんでした(2年目の学校)
子供は悪くない。大人が悪いんだ。なのに。。。。なぜ生徒の可能性をつぶす形で責任転嫁するのかどうしても理解できませんでした
学校全体が廃れていく気配を感じた瞬間
事業として教育を行う以外に戻る道はなさそうだなとその時感じました(懲りずにその後小学校へ体育の補助として勤めに行くのですがやはり東京の学校でさえ授業は崩壊してました)
起業してるほうが楽ではないけど楽しかった
こういったことがあったのでたとえ事業が傾こうが、大借金を背負おうが、人に騙されまくろうが、起業して出会う人の方がはるかにパンチがあるし絡んでて面白いし、前向きな人が多いのでその人たちに揉まれ学んだ20代があるからこそ
今の僕がいます
今は事業することに嫌気がさし遠ざけているのですが(準備と情報収集を進めているだけの日々)
楽じゃないけど日々楽しいです
日本の教育を変えることは不可能
パナソニックの松下幸之助さんが経営のノウハウなどを全て伝えた中で、当時愛弟子だった谷井昭雄さんという方がいらっしゃいます。(有徳塾という場所へ行ってた時で当時谷井さんは91歳)
僕は起業したての頃90にもなられる大先輩の前で大恥をかき涙したことがありました。
その方が言っていたことが
「日本の教育は戦争でも起きない限り変わらない」
現場にいた時から考えたくなかったのですが、教員に戻って教育革命はできないと痛感した瞬間でもありました。
日本の教育についてはまた今度書きたいと思いますが、アメリカのせいで日本の国力が弱くなっているのです。
それを脱した瞬間戦争が起きる
↓↓↓
日本は大敗。
これが数十年以内に起きてもおかしくないシナリオなので僕はそれにむけて今準備中です。(他拠点生活・投資・節税など)
まとめ
今後は他拠点生活(日本・海外・田舎)を目指し、自分自身を磨き続けたいと思っています
バドミントンでは全国で勝ちたいですし
旅もまた再開して自分のレベルアップをしたい
事業も今年中には何か形にしたいとも考えています
稼げるスキルも日々磨き続け
ポーカーの世界大会で優勝したいと思います
これを達成しようと思うと本当に日々時間が足りない(笑)
教員はもういいかなと思う反面
事業をしながら息抜き程度で教壇に立てるなら30代前半のうちはやりたいかなと考えています(それ以降は教育者として講演活動をしたい)
子どもに僕の話を面白いと思って聞いてもらえるなら聞いてほしいので
チャンスがあれば飛び込もうと思います
ブログで今後もいろいろ更新予定なのでよかったらみてください
繋がってください
公式LINEやってるので繋がっていただけたら嬉しいです
コメント