大愚和尚様
フォームでは送信できなかったのでご迷惑を覚悟の上で送らさせていだいております。
動画の運営チーム関係者の皆様。定期的にご視聴させていただいております。いつもお答えする姿を拝見しては生きていく上で指針とさせていただいております。私の悩みは覚悟が決まらず何もかも中途半端になっていることとこの歳で色んな面で甘えが消えないことです。少し長くなりますが私の生い立ちについてお話しさせてください。
オーストラリアの田舎の方にワーキングホリデービザで滞在しており今年で33の年になります。地元は山口で産まれ5人の兄弟と両親、祖父母の元18年地元で過ごしました。進学校の普通科卒業ののち夢であった体育教師になるべく体育大学に親へ説得して地元を離れて入学。大学時代はバドミントンに打ち込みましたが関西のレベルの高さについていくことができなかったことと、同期と1つ上と下の先輩後輩合わせて6人で部活をしていた時期もあり満足した競技人生を過ごせなかったせいか、今も趣味で続けております。
大学を卒業後夢であった教員に講師として働くことができました。講師時代は部活の関係で休みはなく先輩が帰るまで何も仕事がなくても残っていないといけない環境でしたが当時は充実していたように思います。そして社会人3年目の時他の都道府県から当時No1の中学校の校長から推薦していただき、契約までしたのですが校長がその旨を教育委員会に伝え忘れていたせいで引越しをした次の日に校長から電話1つで契約解除。教育委員会と校長の間で責任のたらい回しにあい裁判まで考えましたが当時の私の状態ではただ受け入れるしかありませんでした。そこから社会への不安と信用の薄さを考え始め、「安定も突然消えることがある。自分次第なんだな。」と考え方が変わりました。紹介していただいた体育協会の転職先の給料が当時手取り11万以下だったこととジムに来られていたとある方がMLMの上のクラスの方だったので、セミナーに連れて行ってもらい衝撃を受けそこからMLM、アフィリエイト、転売など借金をして商材を買い漁っては試し気づいたら借金も300万以上していました。
そして当時まだ黎明期だったYouTubeで顔出しをしながらビジネスのことや考え方などを毎日発信し、学んでいたマーケティングでアドバイスやサポートなどを個人事業主という形でしていたら1年ほどはそれで生活もできたのですがビジネスパートナーと縁が切れたり、ビジネスモデルが飽和してしまいマーケティングができなくなってしまったことと、自分自身とビジネスモデルへの不信感などで全てやめ、知り合いのトレーダーから考え方やテクニカル分析の見方を教えてもらい、トレードや仮想通貨でも一時期生計を立てるまではいったのですが、孤独とマネープレッシャーに耐えられずトレードも全てやめてしまいました。
拠点を湘南や東京に移し法人も持っていたのですがこれは当時あった借金を金利の安い融資で相殺して返していこうと知り合いだった人に言われて作った、最終的に高金利の手数料が発生する詐欺関係でできた偽の会社であったため、色んな方の協力の元幸いにも休眠をすることができたのですが、いろいろビジネスの人間関係や社長たちとの会食にも嫌気がさし、ありがたいことだったのですが全てを捨てそこから世界に旅に出ることにしました。
27歳で初めて海外に行ってから1年後に世界旅を始めてそれはそれは一言では書き切れないほどの経験をさせていただきましたが、出国してから3ヶ月でコロナが蔓延。当時メキシコかトルコか日本にしか入国できない状態に気づいたらなってしまっていたため帰国する羽目になりました。帰国後は縁が切れなかったビジネス関係の方のおうちに居候させていただき生活はできていたのですが旅の途中で出会ったポーカーに魅了され、そこからオンラインでもプレーするようになりポーカーサイトの他のギャンブルで100万以上負けてしまいそこからポーカー以外のことはやめていたのですが、自分はこれが向いているのかもしれないとコロナで時給が高い仕事で働いてはお金を作りラスベガスや近隣の国に行っては勝負し破産してを何度も繰り返しました。
そして気がつけば31手前の時にワーキングホリデーという言葉を聞き、長い人生スパンで考えたらいい経験に絶対になる!ということと、嫌いになりかけていた英語の勉強と、海外バドミントンとポーカーに本格的に触れてみたくて31歳の年にはニュージーランドへ、そしてビザが切れた後の今はオーストラリアに住んでいる状態です。バドミントンのコーチを現地で依頼されつたない英語で僕レベルの選手で教えていたのですが、月に家賃が払えるくらいの収入はあったことと(ばらつきがすごかったですが)、現地の仲間に本当に温かく接していただきバドミントンライフは人生で最高クラスでいい思い出が作ることができました。
そして仕事をしながら使えるお金をポーカーに使っていましたが、ニュージーランドでもオーストラリアでも勝つことができず、生活はできている状態ですが後1ヶ月でビザが切れるのに学生ビザやスポンサービザも難しい状態でワーホリを終えることになりそうで、行動力と好奇心で生きてきて周りの仲間や友達も楽しそうに生きてるね!みたいな感じでお話ししていただけるのですが個人的には金銭面、特にポーカーで結果が残せないどころか借金をまた作ってしまい貯金もできない状態になってしまった自分を責めたりもして気分が落ち込んだりベットからなかなか出れない日もありました。渡豪した2ヶ月目くらいからこの様子だったので今は自分のプレーの分析や自分自身の分析もメタ認知的にできるようになったのですが、1ヶ月以内にビザが切れてしまうので次はヨーロッパで働ける仕事があったので深掘りして探すか、旅行に行った時に感銘を受けたドバイでできる仕事を探すか、日本に一旦帰るのか考えています。
兄弟で3人は地元にいる状態なのですが親は地元に戻ってくることを希望しています。僕は地元は大好きです。自然豊かで災害が少ない、観光名所や地産地消のものも有名なものがたくさんあります。人とのつながりや僕が好きな吉田松陰先生の教えなどたくさん誇れるものがあります。ですが親と暮らしたくないと考えています。亡くなった祖母とご存命の祖父は僕が苦しい時も調子がいい時も温かく見守ってくださったし、アドバイスや言いたくないのですが働いていた際のお金を保険や積立にして残しておいてくれていて満期のお金数百万を黙って兄弟全員に渡したりしていたとてもすごい祖父母です。実際そのお金も僕だけが全てもう使ってしまった状態で(投資の詐欺、オンラインギャンブル、旅の費用、事業を畳んだ際に発生したお金など)情けない気持ちでいっぱいです。
そして親は親の権力を使い制圧してくるような子育てをしていました。時間を守ることや挨拶の大事さは祖父母から学んだのでそれは今も活きていますが、「勉強しなさい!」が口癖だったこと、過保護すぎて学生の時は友達の家に泊まりに行くことや部活以外の日は門限があったりしてみんなの会話などにも混ざれなかった記憶があります。学校の成績が安定しなくなったら当時隠れてしていたゲームやカードゲームを机を開けられ捨てられたりもしました。成人してからは体育大学の部活のきつさも打ち明けれなかったり、事業で失敗した際も投資で騙された際も学校の推薦の話が流れた時も親身に寄り添ってくれなかったり、逆に「あんたが悪いんじゃないの?」「情けないからでしょ!」と当時すごい落ち込んで塞ぎ込んでしまったこともありました。
確かに5人産んで大病も今までなく頑丈に育ててくれたことや、僕が海外に行き出した頃から態度が丸くなり、帰省した際には2人でご飯に行ったり、晩酌を共にしたりなどはしておりますので関係は悪くないですが、暮らすとなったら話は別です。18から1人で暮らし、途中で同棲したりしていた時期もありましたが愛する人と意外、時間を共にすることが正直不可能になっています。実家は恵まれすぎていると感じている部分もあるのでそれに染まりたくない部分もあります。帰省した際も1日目は気分がいいのですが2日目になると帰りたくなってしまう衝動にかられます。歳を重ねてもなおエネルギーや情熱が何かしらにわいているのでそれを親に奪われてしまうのはごめんです。同じ屋根の下に人が一緒にいることは自分にとってはすごい魅力的なことなのですが自分は特に金銭的な面で早く結果を残したいと思っています。今後の将来について夢や希望はたくさんありますが、死についてでさえ仏教や海外で会った人と交流を深めていく中で怖さはなくなりましたし、後悔も今まで経験に変えるように工夫をしてきました。
夢としては自分再度ビジネスを始め教育者に再び戻り、自分の教育拠点を持ちスポーツや考え方生き方を子供達に教えていきたいですし、バドミントンは生涯現役コートに立ち続けたいですし、ポーカーでは安定した収益を上げそのお金で世界大会で優勝することもまた夢であります。最終的には自給自足に近い不便さと便利さを融合させた暮らしも地元や日本、海外と複数拠点を持ちながら実現させたいと思っています。自分で作ったりいただいた命を時間はかかるけれども美味しくいただけること以上に贅沢なことはないと思っています。なのでスピアフィッシングや釣りをしたり、猪や鹿をとって捌く動画を見たり、家の建て方や野菜や米の育て方なども見ています。
25で起業してからはYouTube動画2倍速で全て聴き多くの方の内容をインプットし、自分でブログや動画に起こすことで考えたや生き方を固めてきましたがここ数年の行動次第で全てが決まると思っています。比較するものではないと思いますが僕は本当にラッキーで幸せな人です。ですが現状に満足したことは1度もありません。考え方、行動、英語、勉強。全て重要だからこそ全て中途半端なのです。幸せな悩みではあるのですがやりたいことや夢が多く1つに絞り切れず集中できない状態がオーストラリアに来てから特に続いております。原因はポーカーにあると思うのですが辞めようにもまだみていない世界を見てみたい好奇心が勝り今日もプロ相手に負けてきてこの文を書いています。破産した人も多くいますのでギャンブルと捉えられたりマインドスポーツと捉えられたりもしますが、バドミントン同様スポーツの要素がすごいあるものだと思っており僕は続けていくと思います。既に破産も何回もしていますし、ビジネスやトレードと同様一瞬の気の緩みで全て消え失せる可能性のあるものですが後悔を経験に変えれるよう納得いくまで続けたいです。
僕はこのままでいいのでしょうか?多くの方の悩みを聞かれてきた大愚和尚様のご意見を頂戴できたら幸せます。最後までご拝読いただきありがとうございます。